今日の日記
2003年12月19日HDD漁ってたらこんなの出てきた。 なつかしーw
ツァルくん馬鹿だね。(褒め言葉)
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追試試験に負け残った学生全てに、私は訴えたい。
学生には、すでに向学心はない!情熱もなければ、根性、気合も無い!
なのに、なぜその追試に希望を託さなければならないのか!
学生よ! やるべきは一度しかない青春の謳歌である。単位取得の名のもとに薄れ、
何一つ楽しむことのできない人間に、将来の社会人として一人一人を一人前と言うわけにはゆかない!
諸君の受かった学校の学長が、受験の合格を祝ったときに語った倣岸不遜な言葉を思い起こすがいい!
諸君の努力はいつかは実る、と学長は言った。怠ける学生は不停の悪癖にとりつかれて、
自律を生活の規範としはじめた回りの意識が成長しつつあるのに気づかぬ愚かな人々であるという。
その愚かな怠惰に将来ある諸君が従ういわれはないという!
堕落した学生の見苦しさは、確かに学長の言う通りではある。どの大学にあってもそれは事実であろう。
しかし、受験を制した若人よ。教育者達の語る一面の真理にのみ目を奪われてはならない。
真面目君は安全な将来を設計した最も有能な人間であるとされているが、その彼らが
人生の真理を見たなどという戯言を誰が信じようか!教育者が堕落の一部の見苦しさに事よせて、
真面目に生きる正当性を主張するなど、許せるものではない。
しょせん、飼い慣らせる学生を望む教育者側の独善である。百歩引き下がってやつらの主張を
認めたとしても、なに故に、大学生活そのものまでがやつらの前に膝を折らねばならないのか!
大学生活とは、個人の主権の濫用の上に立った生活である。
学生が入学以来初めて自由に感動したのも、一人暮らしという
自らの堕落の温床たる環境があったればこそであろう。
しかるに、あの教育者どもは言う。討つは見苦しい根性である、と!
討てばよろしい。見苦しさの源を!
しかし、昔は同じ大学生だった彼らに何を語る資格があろうか!
学長は言う。学校生活の中、一人、己が堕落しつづけるのは、真面目に生きる人間に対する冒涜である。
それを今こそ管理して、学生生活の中の一人の仲間として生活しなければならない時、
少数の単位不可は学内の弛緩に対してつけねばならないけじめであると!
これが、真理か?一つの単位、一人の人生設計をその自らの手によって抹殺させるに等しい罪を犯して、
学長は何を得ようと言うのか?
・・・・・・得るものは、ない! 人があって、はじめて学校経営もできようというのに、
自らの生命線をも絶とうとする暴挙には、我々は素朴に理解しかねるのである。
その男が、またしても単位取り消しさえ怠け者に叩きつけてみせると言う。
何を根拠に学長は、それを言うのか?彼のイデオロギーが絶対真理であるからなのか?
否!彼の独善でしかない。学生が怠惰で堕落しきっているのか?
これも、否である。追試の脅威に勇敢に闘った善良無能なる学生は、未だテスト会場である。
では、教育者は学生に比べて膨大無比な知識があるというのか?これもまた、否である。
学生諸君!聞き給え! すでに教授言葉は脅しにしかすぎない。
不肖、私は幸いにして追試に招かれ、教授達の実態に触れた。この学校の教授は疲れきっている。
単位の修復は、明日すぐに間に合うというものではない。
単位不可を学生にぶっつけるなど、やってもらおうではないか! 学長よ!
追試決定ですでに学生の支持は尽きている。一人の学生を育てるのに、何日かかる?
学長は、知らぬわけではあるまい。
そして追試決定の学生、一人一人に私は訴える。
もはや、教授達に単位不可を推奨するものはいない!
その単位に固執するいわれはないのだ!怠けよ学生!
今こそ、単位をこそ、我らの手に収めるべきである!!!
ツァルくん馬鹿だね。(褒め言葉)
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追試試験に負け残った学生全てに、私は訴えたい。
学生には、すでに向学心はない!情熱もなければ、根性、気合も無い!
なのに、なぜその追試に希望を託さなければならないのか!
学生よ! やるべきは一度しかない青春の謳歌である。単位取得の名のもとに薄れ、
何一つ楽しむことのできない人間に、将来の社会人として一人一人を一人前と言うわけにはゆかない!
諸君の受かった学校の学長が、受験の合格を祝ったときに語った倣岸不遜な言葉を思い起こすがいい!
諸君の努力はいつかは実る、と学長は言った。怠ける学生は不停の悪癖にとりつかれて、
自律を生活の規範としはじめた回りの意識が成長しつつあるのに気づかぬ愚かな人々であるという。
その愚かな怠惰に将来ある諸君が従ういわれはないという!
堕落した学生の見苦しさは、確かに学長の言う通りではある。どの大学にあってもそれは事実であろう。
しかし、受験を制した若人よ。教育者達の語る一面の真理にのみ目を奪われてはならない。
真面目君は安全な将来を設計した最も有能な人間であるとされているが、その彼らが
人生の真理を見たなどという戯言を誰が信じようか!教育者が堕落の一部の見苦しさに事よせて、
真面目に生きる正当性を主張するなど、許せるものではない。
しょせん、飼い慣らせる学生を望む教育者側の独善である。百歩引き下がってやつらの主張を
認めたとしても、なに故に、大学生活そのものまでがやつらの前に膝を折らねばならないのか!
大学生活とは、個人の主権の濫用の上に立った生活である。
学生が入学以来初めて自由に感動したのも、一人暮らしという
自らの堕落の温床たる環境があったればこそであろう。
しかるに、あの教育者どもは言う。討つは見苦しい根性である、と!
討てばよろしい。見苦しさの源を!
しかし、昔は同じ大学生だった彼らに何を語る資格があろうか!
学長は言う。学校生活の中、一人、己が堕落しつづけるのは、真面目に生きる人間に対する冒涜である。
それを今こそ管理して、学生生活の中の一人の仲間として生活しなければならない時、
少数の単位不可は学内の弛緩に対してつけねばならないけじめであると!
これが、真理か?一つの単位、一人の人生設計をその自らの手によって抹殺させるに等しい罪を犯して、
学長は何を得ようと言うのか?
・・・・・・得るものは、ない! 人があって、はじめて学校経営もできようというのに、
自らの生命線をも絶とうとする暴挙には、我々は素朴に理解しかねるのである。
その男が、またしても単位取り消しさえ怠け者に叩きつけてみせると言う。
何を根拠に学長は、それを言うのか?彼のイデオロギーが絶対真理であるからなのか?
否!彼の独善でしかない。学生が怠惰で堕落しきっているのか?
これも、否である。追試の脅威に勇敢に闘った善良無能なる学生は、未だテスト会場である。
では、教育者は学生に比べて膨大無比な知識があるというのか?これもまた、否である。
学生諸君!聞き給え! すでに教授言葉は脅しにしかすぎない。
不肖、私は幸いにして追試に招かれ、教授達の実態に触れた。この学校の教授は疲れきっている。
単位の修復は、明日すぐに間に合うというものではない。
単位不可を学生にぶっつけるなど、やってもらおうではないか! 学長よ!
追試決定ですでに学生の支持は尽きている。一人の学生を育てるのに、何日かかる?
学長は、知らぬわけではあるまい。
そして追試決定の学生、一人一人に私は訴える。
もはや、教授達に単位不可を推奨するものはいない!
その単位に固執するいわれはないのだ!怠けよ学生!
今こそ、単位をこそ、我らの手に収めるべきである!!!
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